長谷部アジア公園探訪記5 大阪発~下道で行く!車中泊旅行編16~

長谷部アジア公園探訪記5 大阪発~下道で行く!車中泊旅行編16~
そしてとうとう見つけてしまいました。
打ち捨てられた長谷部アジア公園の看板2
やはり、私たちは長谷部さんのアジアを知るには訪れるのが少し遅すぎたようです。

こういった感じの施設の周辺にはこのような‟かつての痕跡”がついて回るものかと思います。

ただ…。

この『長谷部アジア(別荘)公園』は、こういう‟痕跡”が少なすぎ、また、私たちの関心の発端となった‟意外と綺麗な看板”に、ある種の不自然さを覚えます。

そこで長谷部さんに想いを馳せて、もう一度あらためて施設全景を見渡してみました。

そこに見える景色と言えば、おそらく駐車場として存在しているはずの広々としたスペース、
駐車場になるはずだったであろう広場
(あるいは別荘併設予定地かもしれませんが)

個人の趣味とするには少し規模が大きいような気もする施設建物。
長谷部資料館
ここは池、あるいは小川だったのでしょうか…
池あるいは小川だったであろう場所
水を引いてきた管のように思えます。

その脇には人々がのんびりと憩ったかもしれないベンチ、
人々がのんびりと憩ったかもしれないベンチ
別荘のモデルハウス
パオ
…ってことは、ないとは思いますが。

などと、眺めるほどに様々な妄想が広がる中、

「そもそも、ここに人々は訪れたのだろうか…」

ふと、こんな想いがよぎります。

正直、コレを見た時は
高遠長谷部アジア公園の石碑
ちょっと風変わりなお金持ちの学者さんの趣味かな?
という程度の感覚でした。

ですが、

「長谷部さんの想いは、静かに自然へと回帰してゆく…。」
自然へと回帰してゆく長谷部アジア公園
そんな風に思ってみると、私は長谷部平吉さんがどういう人だったのか無性に知りたくなりました。

この施設は何だったのか、どういう想いで、何のために作られたのか、とても気になりました。

夕暮れも近づき天候も悪く周囲がしんみりとしていたこともあり、少々感傷的になっていたのかもしれません。
長谷部アジア公園に咲く紫色の花

--- つづく ---


※この記事は2014年8月2日にFacebookノートで公開したものです。

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