長々と続いてしまった『長谷部アジア公園』シリーズ?も、今回が一応の最終回です。 すでにお気づきのこととは思いますが、すでに『長谷部アジア公園』はなくなってしまっています。 昨年の冬には建物も取り壊され更地化され 『杖突峠の工事』 そして2014年の春には このように変貌してしまったのです。 (今回、一連の記事を書く発端...
長谷部アジア公園
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登山者にはそれなりのインパクトがあったと思われる『長谷部アジア公園』の施設内部を知る手がかりは、とても少なく断片的でした。 とにかく見つけた記事をつなぎ合わせて推測してみることにしました。 まず、いつ掲載されたのかは不明ですが。 『神之峰城址』 (この灯篭には見覚えがあるような、ないような…) でも、神之峰って…?? ...
この『長谷部アジア公園』がいつごろから存在していたか、というところですが。 全く不明です。 通常、こういった石碑のようなものには完成の年月日などが刻まれていることが多いと思うのですが、そういったものが見当たりません。 もしかするとこの裏にあったのかもしれませんが、今となっては確かめようもありません。 ならば、ネット内に...
関東からの帰路、何気なく興味本位で立ち寄った『長谷部アジア公園』 それを設立した長谷部平吉さんとはどんな人物だったのか…。 チョット調べてみました。 *1921年(大正10年)生まれ、長野県伊那市高遠町出身 *日本大学経済学部を卒業(経済学博士、商学博士、文学博士) (同友会の七代会長も務められたようです) *長谷部建...
そしてとうとう見つけてしまいました。 やはり、私たちは長谷部さんのアジアを知るには訪れるのが少し遅すぎたようです。 こういった感じの施設の周辺にはこのような‟かつての痕跡”がついて回るものかと思います。 ただ…。 この『長谷部アジア(別荘)公園』は、こういう‟痕跡”が少なすぎ、また、私たちの関心の発端となった‟意外と綺...
「長谷部アジア館」のアジアな展示物、 「長谷部資料館」に展示されている長谷部さんの資料、 「守屋山神社」のご神体その他モロモロ、 「別荘」の真意…などなど。 『長谷部アジア公園』の謎をひも解く手がかりを発見するべく周囲を散策してみましたが、ますますそのミステリアス加減は増大する一方でした。 ただその謎に迫る唯一の手がか...
『長谷部アジア公園別荘地』となっていますが、おそらくここで間違いないでしょう。 やっとで到着した『長谷部アジア公園』ですが、到着してみると、私たちの予想を超えた状況で (と言うより、‟何も予想していなかった”が正解・笑) 謎を深めるその敷地の在り様に、正直、立ち入ることを躊躇してしまいました。 ‟ブルーシートをかぶせた...
この看板に心惹かれて私たちは『長谷部アジア公園』というところに向かうことにしました。 意外としっかりとした看板だったので、きっとそれなりの規模の施設ではないか?と思い、「途中、道案内の看板くらいはあるだろう」とふんでいたのですが…。 行けども行けども施設どころか、それらしい道案内の看板すら見当たらず。 「・・・ないなぁ...
一旦看板の前を通り過ぎたにもかかわらず、「やっぱり気になるなぁ…」と、看板まで引き返し、まじまじと確認してしまいました。 よく見てみると、看板の支柱は錆びて古そうですが、看板自体は比較的傷みもなく新しい感じがしなくもない…。 さて、そんなことよりも私たちが気になるのは、“アジア”というネーミングです。 これはあまりに漠...