長谷部アジア公園探訪記8 大阪発~下道で行く!車中泊旅行編19~
登山者にはそれなりのインパクトがあったと思われる『長谷部アジア公園』の施設内部を知る手がかりは、とても少なく断片的でした。
とにかく見つけた記事をつなぎ合わせて推測してみることにしました。
まず、いつ掲載されたのかは不明ですが。
『神之峰城址』
(この灯篭には見覚えがあるような、ないような…)
でも、神之峰って…??
最初は
「神之峰にあったものを移設したのか?」
とも思いましたが、上記サイトの写真(上から4枚目)と当方撮影のものとを見比べてみると
違う建物であることが分かります。
改修し移設、ということも考えられなくはないのですが…
謎が深まってしまいました。
上記サイト以外にも地域関連のいくつかの記事を見つけたのですが、『長谷部アジア館』としては神之峰のものばかりで、これしか手がかりはなさそうです。
とりあえず、発見した記事(神之峰)をまとめると、
こんな感じです。
館内では引き続き鎧兜の展示もされ見学もできるようです。
また、2014年に掲載されていた写真を確認できたのですが、建物外観は多少変わっていましたが、灯篭はそのまま建物入口に設置されていました。
(ただ、長谷部アジア公園にあった灯篭とあまりに酷似しているように思いましたが、関連は不明です。)
という事で。
登山者の目撃談も合わせて考えると、私たちが訪れた『長谷部アジア公園』に存在したアジア館は、上久堅のアジア館の移設ではない、ということになると思います。
この時点で、『長谷部アジア公園』についての手がかりがまったくなくなってしまいました。
--- つづく ---
以下、今回参考にさせていただきました本文掲載以外のサイトの一覧です。
南信州サイバーニュース
まちづくり通信第15号
まちづくり通信38号
まちづくり通信46号
※この記事は2014年8月14日にFacebookノートで公開したものです。
とにかく見つけた記事をつなぎ合わせて推測してみることにしました。
まず、いつ掲載されたのかは不明ですが。
『神之峰城址』
(この灯篭には見覚えがあるような、ないような…)
でも、神之峰って…??
最初は
「神之峰にあったものを移設したのか?」
とも思いましたが、上記サイトの写真(上から4枚目)と当方撮影のものとを見比べてみると
違う建物であることが分かります。
改修し移設、ということも考えられなくはないのですが…
謎が深まってしまいました。
上記サイト以外にも地域関連のいくつかの記事を見つけたのですが、『長谷部アジア館』としては神之峰のものばかりで、これしか手がかりはなさそうです。
とりあえず、発見した記事(神之峰)をまとめると、
- 神之峰の『長谷部アジア館』は1996年にご自身の出身地域(上久堅)に展示されていた鎧兜などと共に寄贈。
(それ以前に建てられたようだが、詳細は不明) - 地域の皆様は有効に活用していた。
- 2009年に老朽化問題が浮上するも、地域の皆様は長谷部さんの好意を無駄にしない形で、郷土資料館として改修を決定。
- 無事、改修も終了し、2011年の春『上久堅郷土資料館』として最スタート。
- その後も地域の皆様が有効活用している。
こんな感じです。
館内では引き続き鎧兜の展示もされ見学もできるようです。
また、2014年に掲載されていた写真を確認できたのですが、建物外観は多少変わっていましたが、灯篭はそのまま建物入口に設置されていました。
(ただ、長谷部アジア公園にあった灯篭とあまりに酷似しているように思いましたが、関連は不明です。)
という事で。
登山者の目撃談も合わせて考えると、私たちが訪れた『長谷部アジア公園』に存在したアジア館は、上久堅のアジア館の移設ではない、ということになると思います。
この時点で、『長谷部アジア公園』についての手がかりがまったくなくなってしまいました。
--- つづく ---
以下、今回参考にさせていただきました本文掲載以外のサイトの一覧です。
南信州サイバーニュース
まちづくり通信第15号
まちづくり通信38号
まちづくり通信46号
※この記事は2014年8月14日にFacebookノートで公開したものです。
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