長谷部アジア公園探訪記7 大阪発~下道で行く!車中泊旅行編18~

長谷部アジア公園探訪記7 大阪発~下道で行く!車中泊旅行編18~
この『長谷部アジア公園』がいつごろから存在していたか、というところですが。

全く不明です。

通常、こういった石碑のようなものには完成の年月日などが刻まれていることが多いと思うのですが、そういったものが見当たりません。

もしかするとこの裏にあったのかもしれませんが、今となっては確かめようもありません。

ならば、ネット内にある情報から推測するしかありません。

かなり独特の施設であることと、地域振興を視野に入れて企画されているだろうと踏んで、『「目撃談」と「地域関係」をあたれば、ヒットするかも』と思い、調べてみました。

まず、目撃談としてヒットするのはほぼ‟登山サイト”で、まずはそちらから整頓したいと思います。

どうやら例のパオの少し先に登山道入口があるようです。
(避難小屋なども完備された、本格的なコースのようです。)

コチラのサイトが在りし日の『長谷部アジア公園』関係の写真が最も多かったので↓↓↓

『守屋山 [山行記録] - ヤマレコ』

モンゴル関係の看板はパオの先にあったのかもしれません。

看板には格言か教訓のようなもの、何か説明書きのようなものが見受けられますので、それらを読み解いていけばもう少し『長谷部アジア公園』の謎に迫れるか…?!という気もしますが…。

他、サイトも看板やパオなどの写真を掲載されているのですが、どれも判読できるところまではいかず、分からずじまいで残念。

ちなみに、施設に対してはどの記事も似たようなうな感想でしたが。

とりあえず、見つけた記事の登山年月日を時系列に並べてみたところ、2002年5月のものが一番古く、その時点ですでに看板とパオが登場しています。

この施設は少なくとも、今より12年以上前にはすでに存在していた、ということだけは判明しました。

気になる‟別荘”に関しては、名前を書いた木札のようなものが目撃されていましたので、少し先の林の中に別荘予定地が存在していたようです。

ただ、ここで少し不思議に思ったのは。
『長谷部アジア公園』に関するいくつかの目撃談中に、『アジア館』や『資料館』へ足を踏み入れた人を確認することができないことでした。

それは、記事を書かれた皆さんの目的が「登山」ですので当然なのかもしれませんが。

ですがそれにしても、あまりにも施設に触れていなさすぎで、しいて言えば、

「????何コレ???」

(と、皆さん施設を気にしつつも)

「…ま、いいか。そんなことより登山へ出発」

こんな感じの記事がほとんどでした。

(その、「絶妙なスルー加減」のそこはかとなく漂う文章が、個人的には何とも面白かったのですが・笑。)

そうそう、余談ですが。

実は施設の向かいにはこんなのがあるのですが↓↓↓
中央道晴峰カントリー倶楽部の看板
ゴルファーからの目撃情報は今のところ発見できていません。

--- つづく ---




以下、今回参考にさせていただきました本文掲載以外のサイトの一覧です。

『伊那山地の山 - 自然と人情ふれあいの山々』

『守屋山~2004.12.06~ - 常念ズ裏ページ』

『第142話 守屋山と長谷部アジア公園 - ペンギンさんの登山日誌』

『守屋山 - 空に近い場所に』

『守屋山から高遠へ - 市川周辺ぶらり散歩』

『守屋山2005/11 - キリトウサンの怪人・隠遁生活』

『守屋山 - 長野県の山の記録を載せたホームページ』

『守屋山(1650m)長野県高遠町 - あべちゃん山日記』

『高遠長谷部アジア公園 - 『けいしょ』各地キャラと横浜FC(再起へ)』

『変なものが… - 駆けるぬか歓び (・ω・) vorzeitige Freude 』

『守屋山』

『守屋山 - 今度、どこ登ろうかな?』


※この記事は2014年8月10日にFacebookノートで公開したものです。

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