長谷部アジア公園探訪記9 大阪発~下道で行く!車中泊旅行編20~
長々と続いてしまった『長谷部アジア公園』シリーズ?も、今回が一応の最終回です。
すでにお気づきのこととは思いますが、すでに『長谷部アジア公園』はなくなってしまっています。
昨年の冬には建物も取り壊され更地化され
『杖突峠の工事』
そして2014年の春には
このように変貌してしまったのです。
(今回、一連の記事を書く発端となったのがこの変貌ぶりを目の当たりにして愕然とした、というのが今回のオチ…となるのですが…)
これはかつて長谷部アジア館・他、を眺めた場所あたりからの風景ですが↓↓
かなり巨大なメガソーラー施設です。
謎の灯篭や朽ちた看板があったあたりもこのようになっていて↓↓
綺麗に木々が植えられ、何だかコワい感じだった灯篭が懐かしい気さえします。
結局、本命である『長谷部アジア公園』の手がかりはまったくないまま、真相は本当に謎のままとなってしまいました。
公園施設がオープンしていたにせよ、していなかったにせよ、もはや私たちに確かめる術はありません。
(近所に聞き込みできるほどの行動力がないので・笑)
もうここからは、妄想力に頼るほかなさそうです。
まず、『長谷部資料館』
こちらは長谷部さんの様々な研究結果やライフワーク的な資料、蔵書などの展示場所でしょうか。
(格言のことや、ご自身の書画やこれまで巡ってこられた諸国の見聞記録他など)
個人的には格言とか教訓とかことわざとか結構好きなので、そういう資料などは拝見したかったですね。
あと、先駆けとして訪れられた当時のアジア諸国の様子などのパネル展示もあるといいなぁ、と。
次に、『長谷部アジア館』
日本の鎧兜などが上久堅に寄贈されていることから、こちらは日本以外のアジア各地の珍しい郷土品などの展示や文化、風習などの解説、もしかするとモンゴル中心の展開だったのかも。
個人的には民族学博物館とかの‟何となくあやしいコーナー”が結構好きなので、って言うか、当初はそういうのを期待してこの地にやって来たのですが・笑。
こちらのアジア館がそういう感じだったかどうかはさておき、ぜひ、拝見したかったものです。
普通の博物館も好きですので。
最後に、『守屋山神社』
実はここが一番の謎だったりします。
ご神体とか、イワレとか、そういうのがまったく分からない…。
どうやら、登山道を進むと「物部守屋神社奥宮」というのがあるらしいのですが…。
『物部守屋神社奥宮 - from八ヶ岳原人』
『守屋山と神体山 - from八ヶ岳原人』
はたして、この神社が守屋神社奥宮に関係するのかも含め、今となっては守屋山神社の全てを知るのは長谷部さんただ一人でしょう。
個人的には。
ソツのない万人受けするご利益ではないかと。
そうそう。
忘れるところでした。
これは「中に入れる仕様かどうか」というところで、その存在理由が変わってくるのですが…。
個人的には「ぜひ入りたい」と思いますので、ここでは「入ることができた」という前提で…。
やっぱりモデルハウスは捨てがたい!ですね。
ただ、長谷部さんの行われた慈善事業の功績の中から‟児童”というキーワードが見えてきます。
ですので、ここを訪れたお子さんが、例えば秘密基地のようにパオで遊んだりしながら、楽しくモンゴルという国を知るキッカケになる。
…というような企画だといいのになぁ、と思います。
さて、どうなんでしょうねぇ。
この施設は上久堅のように地域への寄贈もされず、施設運営の痕跡すらも希薄です。
順当に考えるなら。
別荘予定地は登山道入り口付近に位置し、上に登れば杖突峠、
向かいにはゴルフ場、
少し下った先には森林公園風の場所や
国立信州高遠青少年自然の家もあり
これらの周辺環境から、長谷部グループによる別荘地開発事業がここ本来の姿と考えるのが自然でしょう。
そして、さらに別荘地を充実させるべく、文化的な(例えば美術館的な)‟もう一手” を加える意味からの『長谷部アジア公園』ではなかったかな、と。
(って言うか、普通はまず「そう思うって!」というツッコミを自分で入れつつ・笑)
どこまでも真相はまさに藪の中
(このコは未だ、同じ場所にい続けていましたケドね・笑 ちなみに、この記事を書いた何年か後、このコのおかげでこの辺りの不法投棄がなくなったということで、ちょっとした話題になっていました)
彼の地の歴史は野辺の花のみ知ることです。
それでは!!
この標語を胸に刻みつつ
(このコも健在でしたケドね・笑)
長谷部さんが描いていた別荘地を含むアジアな公園の(個人的には長谷部アジア館の)片鱗を垣間見ることすらできないまま!
以上で『長谷部アジア公園』シリーズは終了です。
更新を終えて。
その全貌に薄々感づいてなお、それでも施設内部とパオへの興味を捨てきれず、もうなくなってしまった施設の過去の記録を掘り起し。
意外と時間がかかったわりには
「結局。よく分かりませんでした」
いや、このブルーシートは
「メガソーラー施設建設準備でした」という2度オチ。
我ながら「不毛やなぁ…」と(笑)。
以下、今回参考にさせていただきました本文掲載以外のサイトです。
守屋山 - 新潟楽山会
※この記事は2014年8月16日にFacebookノートで公開したものです。
すでにお気づきのこととは思いますが、すでに『長谷部アジア公園』はなくなってしまっています。
昨年の冬には建物も取り壊され更地化され
『杖突峠の工事』
そして2014年の春には
このように変貌してしまったのです。
(今回、一連の記事を書く発端となったのがこの変貌ぶりを目の当たりにして愕然とした、というのが今回のオチ…となるのですが…)
これはかつて長谷部アジア館・他、を眺めた場所あたりからの風景ですが↓↓
かなり巨大なメガソーラー施設です。
謎の灯篭や朽ちた看板があったあたりもこのようになっていて↓↓
綺麗に木々が植えられ、何だかコワい感じだった灯篭が懐かしい気さえします。
結局、本命である『長谷部アジア公園』の手がかりはまったくないまま、真相は本当に謎のままとなってしまいました。
公園施設がオープンしていたにせよ、していなかったにせよ、もはや私たちに確かめる術はありません。
(近所に聞き込みできるほどの行動力がないので・笑)
もうここからは、妄想力に頼るほかなさそうです。
まず、『長谷部資料館』
こちらは長谷部さんの様々な研究結果やライフワーク的な資料、蔵書などの展示場所でしょうか。
(格言のことや、ご自身の書画やこれまで巡ってこられた諸国の見聞記録他など)
個人的には格言とか教訓とかことわざとか結構好きなので、そういう資料などは拝見したかったですね。
あと、先駆けとして訪れられた当時のアジア諸国の様子などのパネル展示もあるといいなぁ、と。
次に、『長谷部アジア館』
日本の鎧兜などが上久堅に寄贈されていることから、こちらは日本以外のアジア各地の珍しい郷土品などの展示や文化、風習などの解説、もしかするとモンゴル中心の展開だったのかも。
個人的には民族学博物館とかの‟何となくあやしいコーナー”が結構好きなので、って言うか、当初はそういうのを期待してこの地にやって来たのですが・笑。
こちらのアジア館がそういう感じだったかどうかはさておき、ぜひ、拝見したかったものです。
普通の博物館も好きですので。
最後に、『守屋山神社』
実はここが一番の謎だったりします。
ご神体とか、イワレとか、そういうのがまったく分からない…。
どうやら、登山道を進むと「物部守屋神社奥宮」というのがあるらしいのですが…。
『物部守屋神社奥宮 - from八ヶ岳原人』
『守屋山と神体山 - from八ヶ岳原人』
はたして、この神社が守屋神社奥宮に関係するのかも含め、今となっては守屋山神社の全てを知るのは長谷部さんただ一人でしょう。
個人的には。
ソツのない万人受けするご利益ではないかと。
そうそう。
忘れるところでした。
これは「中に入れる仕様かどうか」というところで、その存在理由が変わってくるのですが…。
個人的には「ぜひ入りたい」と思いますので、ここでは「入ることができた」という前提で…。
やっぱりモデルハウスは捨てがたい!ですね。
ただ、長谷部さんの行われた慈善事業の功績の中から‟児童”というキーワードが見えてきます。
ですので、ここを訪れたお子さんが、例えば秘密基地のようにパオで遊んだりしながら、楽しくモンゴルという国を知るキッカケになる。
…というような企画だといいのになぁ、と思います。
さて、どうなんでしょうねぇ。
この施設は上久堅のように地域への寄贈もされず、施設運営の痕跡すらも希薄です。
順当に考えるなら。
別荘予定地は登山道入り口付近に位置し、上に登れば杖突峠、
向かいにはゴルフ場、
少し下った先には森林公園風の場所や
国立信州高遠青少年自然の家もあり
これらの周辺環境から、長谷部グループによる別荘地開発事業がここ本来の姿と考えるのが自然でしょう。
そして、さらに別荘地を充実させるべく、文化的な(例えば美術館的な)‟もう一手” を加える意味からの『長谷部アジア公園』ではなかったかな、と。
(って言うか、普通はまず「そう思うって!」というツッコミを自分で入れつつ・笑)
どこまでも真相はまさに藪の中
(このコは未だ、同じ場所にい続けていましたケドね・笑 ちなみに、この記事を書いた何年か後、このコのおかげでこの辺りの不法投棄がなくなったということで、ちょっとした話題になっていました)
彼の地の歴史は野辺の花のみ知ることです。
それでは!!
この標語を胸に刻みつつ
(このコも健在でしたケドね・笑)
長谷部さんが描いていた別荘地を含むアジアな公園の(個人的には長谷部アジア館の)片鱗を垣間見ることすらできないまま!
以上で『長谷部アジア公園』シリーズは終了です。
更新を終えて。
その全貌に薄々感づいてなお、それでも施設内部とパオへの興味を捨てきれず、もうなくなってしまった施設の過去の記録を掘り起し。
意外と時間がかかったわりには
「結局。よく分かりませんでした」
いや、このブルーシートは
「メガソーラー施設建設準備でした」という2度オチ。
我ながら「不毛やなぁ…」と(笑)。
以下、今回参考にさせていただきました本文掲載以外のサイトです。
守屋山 - 新潟楽山会
※この記事は2014年8月16日にFacebookノートで公開したものです。
COMMENTS & TRACKBACKS
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ブログ世界の片隅にある当サイトに
よくぞ!ようこそ!辿り着いていただき、さらにコメントまで残していただき、心より感謝いたします!
長谷部アジア記念公園は本当にインパクトの強いものでした。
アレンさんも気になったのですね…、メガソーラー!
ですよね!アレ、気になりますよね~・笑。
なんか、良かった…。
「長谷部仲間」がいて!・笑
この度は「長谷部アジア記念公園ツアー」にご参加いただき、本当にありがとうございました。
レポートありがとうございます。
上久堅出身の者です。
先日杖突峠を通過した際にメガソーラーと、『長谷部アジア公園』という何処かで聞いたことのある名称を目にして不思議に思い、ググってこちらにたどり着きました。
おかげさまで謎が解けました(いや、解けてないか(笑))。
ありがとうございました。