長谷部アジア公園探訪記2 大阪発~下道で行く!車中泊旅行編13~
この看板に心惹かれて私たちは『長谷部アジア公園』というところに向かうことにしました。
意外としっかりとした看板だったので、きっとそれなりの規模の施設ではないか?と思い、「途中、道案内の看板くらいはあるだろう」とふんでいたのですが…。
行けども行けども施設どころか、それらしい道案内の看板すら見当たらず。
「・・・ないなぁ」
「ここ、一本道やんなぁ?」
「まさか、見逃した…とか、ないよなぁ」
「それはないなぁ。道、この道しかなかったし」
「引き返してあの看板からやり直してみる?」
などと訳の分からない会話をしながら、少々不安になってきたところで、何か異質な存在が…↓↓↓
近づいてみて、ビックリです。
「ぅわ!スフィンクスや!」
「おお!チョット ‟それっぽい感じ” してきたやん!」
「でもスフィンクスって、エジプトやん」
「・・・・・・・・。」
「つまり。シルクロード的オリエンタリズムは、幅広い意味をもってすればアジアもその片鱗を担っていると言えなくもなく、すなわち、世界的視野をも加味して言うならば、エジプトもアジアと言えなくはない、かも?」
などと、まったくデタラメで意味不明な解釈の元、我々はこの場において、ほんのりミステリアスなオーラを放つ‟スフィンクス”を‟それっぽいモノ”と定義し、
『本丸は近い!』と判断。
颯爽と、さらにワクワクしながら山道を進んだのでした。
が。
‟それっぽいスフィンクス”からさらに進み、例の‟峠の茶屋”で休むこともなくひた走ること数十分。
「ないなぁ、アジア公園」
「もう、なくなったのかなぁ。って言うか、そもそも存在していたのか?、と」
「・・・・。」
「何か、どうでもいいような気がしてきたなぁ」
と、半ばあきらめ始めた時、ようやく「あれか?!」という場所が見え始めました。
「やっと見つけた~!」と歓喜したのも束の間で、私たちはその施設の前でしばらくの間悩むこととなりました。
--- つづく ---
※この記事は2014年7月23日にFacebookノートで公開したものです。
意外としっかりとした看板だったので、きっとそれなりの規模の施設ではないか?と思い、「途中、道案内の看板くらいはあるだろう」とふんでいたのですが…。
行けども行けども施設どころか、それらしい道案内の看板すら見当たらず。
「・・・ないなぁ」
「ここ、一本道やんなぁ?」
「まさか、見逃した…とか、ないよなぁ」
「それはないなぁ。道、この道しかなかったし」
「引き返してあの看板からやり直してみる?」
などと訳の分からない会話をしながら、少々不安になってきたところで、何か異質な存在が…↓↓↓
近づいてみて、ビックリです。
「ぅわ!スフィンクスや!」
「おお!チョット ‟それっぽい感じ” してきたやん!」
「でもスフィンクスって、エジプトやん」
「・・・・・・・・。」
「つまり。シルクロード的オリエンタリズムは、幅広い意味をもってすればアジアもその片鱗を担っていると言えなくもなく、すなわち、世界的視野をも加味して言うならば、エジプトもアジアと言えなくはない、かも?」
などと、まったくデタラメで意味不明な解釈の元、我々はこの場において、ほんのりミステリアスなオーラを放つ‟スフィンクス”を‟それっぽいモノ”と定義し、
『本丸は近い!』と判断。
颯爽と、さらにワクワクしながら山道を進んだのでした。
が。
‟それっぽいスフィンクス”からさらに進み、例の‟峠の茶屋”で休むこともなくひた走ること数十分。
「ないなぁ、アジア公園」
「もう、なくなったのかなぁ。って言うか、そもそも存在していたのか?、と」
「・・・・。」
「何か、どうでもいいような気がしてきたなぁ」
と、半ばあきらめ始めた時、ようやく「あれか?!」という場所が見え始めました。
「やっと見つけた~!」と歓喜したのも束の間で、私たちはその施設の前でしばらくの間悩むこととなりました。
--- つづく ---
※この記事は2014年7月23日にFacebookノートで公開したものです。
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